中山道歩き①(日本橋~板橋宿) 第425号
日光街道を歩き終わり、甲州街道も間もなく終点に近くなった今年の4月頃、次の目標は東海道か
あるいは中山道、どちらにしようか悩んだ。結局、中山道を歩こうと決めた。理由は中山道のほうが
道のりは長いし、山越えの難しい街道は若いうち(???)に歩いてしましたいと考えたからだ。
中山道は日本橋から京都の三条大橋まで69宿、537kmで東海道とは違い、武蔵、上野、信濃
木曽、美濃、近江、山城の国々の山を通った大街道である。完歩出来るまでどれ位の時間が
掛るのか分からないが、歴史を感じる街道に胸を膨らませて歩き始めた。
1回目は4月18日に歩きました。そろそろ中山道を歩き始めたいと思っていたら、奥さんが
おばあちゃんの原宿「巣鴨」に行きたいと言い出した。巣鴨の地蔵通商店街は旧中山道そのもの
であり、「巣鴨に行くなら日本橋から歩こう」と提案したところ、相手はしぶしぶOKして中山道を
たどることになった次第である。
出発地点はお馴染みの日本橋。ここは何度来ても飽きない橋だが、癪に障るのは橋の上に
高速道路が走っていることだ。何とかならないのか。

国道17号に沿うように旧中山道は走る。神田駅を過ぎると、旧道は17号線から外れ、細い
路地を通る。途中、木造2階建割烹料理屋の前に人が一杯。スケッチしているのだった。
古い建物なので絵になるのでしょう。
【この道も旧中山道】 【古い建物割烹料理屋】


道は神田川に架かる昌平橋を渡る。湯島聖堂と昌平坂である。湯島聖堂は前身を昌平坂
学問所といい、5代綱吉が孔子を祀るための大成殿を創建したのが元禄3年、明治まで
続いた江戸の官立大学で、建物は再建したものだが、入徳門は1704年のものがそのまま
残っている。
神田明神に寄ってみた。大きな神社で、ちょうど結婚式が行われていて花婿、花嫁は当然だが
参列者の皆もニコニコ顔。ここは縁結びの神様だそうだ。この神社の参道に巴屋という饅頭屋が
あったので、2個買い、食べ歩きをする。
【神田明神では結婚式が】 【お菓子を買いました】


道を更に進むと東京大学の赤門が見える。そして東大正門も。東大農学部前で、国道17号線
は左に曲がるが、その角に追分一里塚の碑があるが、悲しいかな、建て看板のみだ。
ここは日光御成道(旧岩槻街道)と中仙道の分岐点であった。
【東大の赤門】 【追分の一里塚跡】


道は白山や千石を通過すると巣鴨の駅になる。あのおばあちゃんの原宿である巣鴨地蔵通り
商店街を歩くと、そこには多くの人出。老人が多い。とげぬき地蔵尊を観て、商店街で食べ歩きし
この日は、日本橋から7.6kmのここまで。
【巣鴨地蔵通り商店街入り口】 【ここも旧中山道です】


しかしながら、中山道の旅人は旅籠無い巣鴨より先に進まなければならない。だから
今回の説明は2回目に歩いた板橋宿まで延長したい。
巣鴨地蔵通り商店街を更に進むと、東京都で唯一の路面電車である都電荒川線を渡る。
丁度、電車来た。明治通りを横切ると、滝野川という場所に出た。ここには近藤勇が処刑された
場所だそうで、近藤勇の墓があると言う。見当たらない。人に聞いたら、すぐ側だと教えられた。
なるほど、ありました。新撰組の生き証人として残った長岡新八はその後、尽力してこの
近藤勇の墓を建てたもので、彼自身もここに眠っているそうだ。
【都電荒川線の電車】 【近藤勇の墓】


埼京線の踏切を渡る。渡ると、そこには「平尾宿」とある。平尾の一里塚の場所を土地の人に
聞いたら、知らないという。だいたい、平尾宿とはなんぞや。その疑問は直ぐ消えた。
つまり、板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿に分かれているそうで、板橋宿の一部だった。
国道17号線を横切ると、そこからは板橋商店街で板橋宿、仲宿の入口であった。
板橋宿~蕨宿~浦和宿に続く
あるいは中山道、どちらにしようか悩んだ。結局、中山道を歩こうと決めた。理由は中山道のほうが
道のりは長いし、山越えの難しい街道は若いうち(???)に歩いてしましたいと考えたからだ。
中山道は日本橋から京都の三条大橋まで69宿、537kmで東海道とは違い、武蔵、上野、信濃
木曽、美濃、近江、山城の国々の山を通った大街道である。完歩出来るまでどれ位の時間が
掛るのか分からないが、歴史を感じる街道に胸を膨らませて歩き始めた。
1回目は4月18日に歩きました。そろそろ中山道を歩き始めたいと思っていたら、奥さんが
おばあちゃんの原宿「巣鴨」に行きたいと言い出した。巣鴨の地蔵通商店街は旧中山道そのもの
であり、「巣鴨に行くなら日本橋から歩こう」と提案したところ、相手はしぶしぶOKして中山道を
たどることになった次第である。
出発地点はお馴染みの日本橋。ここは何度来ても飽きない橋だが、癪に障るのは橋の上に
高速道路が走っていることだ。何とかならないのか。

国道17号に沿うように旧中山道は走る。神田駅を過ぎると、旧道は17号線から外れ、細い
路地を通る。途中、木造2階建割烹料理屋の前に人が一杯。スケッチしているのだった。
古い建物なので絵になるのでしょう。
【この道も旧中山道】 【古い建物割烹料理屋】


道は神田川に架かる昌平橋を渡る。湯島聖堂と昌平坂である。湯島聖堂は前身を昌平坂
学問所といい、5代綱吉が孔子を祀るための大成殿を創建したのが元禄3年、明治まで
続いた江戸の官立大学で、建物は再建したものだが、入徳門は1704年のものがそのまま
残っている。

神田明神に寄ってみた。大きな神社で、ちょうど結婚式が行われていて花婿、花嫁は当然だが
参列者の皆もニコニコ顔。ここは縁結びの神様だそうだ。この神社の参道に巴屋という饅頭屋が
あったので、2個買い、食べ歩きをする。
【神田明神では結婚式が】 【お菓子を買いました】


道を更に進むと東京大学の赤門が見える。そして東大正門も。東大農学部前で、国道17号線
は左に曲がるが、その角に追分一里塚の碑があるが、悲しいかな、建て看板のみだ。
ここは日光御成道(旧岩槻街道)と中仙道の分岐点であった。
【東大の赤門】 【追分の一里塚跡】


道は白山や千石を通過すると巣鴨の駅になる。あのおばあちゃんの原宿である巣鴨地蔵通り
商店街を歩くと、そこには多くの人出。老人が多い。とげぬき地蔵尊を観て、商店街で食べ歩きし
この日は、日本橋から7.6kmのここまで。
【巣鴨地蔵通り商店街入り口】 【ここも旧中山道です】


しかしながら、中山道の旅人は旅籠無い巣鴨より先に進まなければならない。だから
今回の説明は2回目に歩いた板橋宿まで延長したい。
巣鴨地蔵通り商店街を更に進むと、東京都で唯一の路面電車である都電荒川線を渡る。
丁度、電車来た。明治通りを横切ると、滝野川という場所に出た。ここには近藤勇が処刑された
場所だそうで、近藤勇の墓があると言う。見当たらない。人に聞いたら、すぐ側だと教えられた。
なるほど、ありました。新撰組の生き証人として残った長岡新八はその後、尽力してこの
近藤勇の墓を建てたもので、彼自身もここに眠っているそうだ。
【都電荒川線の電車】 【近藤勇の墓】


埼京線の踏切を渡る。渡ると、そこには「平尾宿」とある。平尾の一里塚の場所を土地の人に
聞いたら、知らないという。だいたい、平尾宿とはなんぞや。その疑問は直ぐ消えた。
つまり、板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿に分かれているそうで、板橋宿の一部だった。
国道17号線を横切ると、そこからは板橋商店街で板橋宿、仲宿の入口であった。
板橋宿~蕨宿~浦和宿に続く

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