万里の長城に立った 第415号
万里の長城を歩きました。長年の思いが果たせました。
長城は物凄く高く、幅広く、そして頑丈で圧倒される壁です。
この壁が国内を6千㌔とも8千㌔mとも言われる長さ持って建造された事に物凄い驚きを感じる。
北方騎馬民族の侵略を防御する為とはいえ、それを造った当時の皇帝の強大な権力に対しても
大きな驚きを禁じ得ない。しかしながら、現代の我々から言わせてれば、こんな大土木事業をしなくとも
敵の侵入は防げたのではないのだろうか。(歴代の中国皇帝さま、大変失礼な発言でした!)
だが、現実は造ったので、今、世界遺産として残っているのです。
訪れた場所は北京から近い八達嶺。北京市街地からは立派な高速道路が出来たので、1時間位で
行けるのです。
会社勤め時代に、仕事の関係で何回か北京に訪れたことはあるが、観光する時間は無かったような
気がする。従って、万里の長城は今回、初めて観るのです。
20年前、万里の長城を、東の端から西の端まで紹介していた紀行番組があった。今は亡き
緒形拳さんが旅をしながら紹介するのだ。この番組を観て、どうしても万里の長城を観たいと以前から
強く思っていたところ、今回、格安のツアーがあったので参加した。
ツアーから帰ってきて、再度この番組のVTRを観てみた(当然だが、出演者の皆、若い)。やはり
凄い壁だし、この番組を撮った人達の苦労が伺える。
八達嶺の関に入ると右に行く門と左に行く門があるが、右側は比較的緩やかな長城で女坂と呼ばれ
観光客は多い。左側が男坂と言って、結構、上りがきついが人は女坂より少ない。折角なので、きつい
坂のある左側に登った。
限られた時間でどこまで行けるかだが、結構高いところまで行きついた。下から見える一番高い
「のろしだい」近辺では、相当、体力を消耗した。でも、そこから観る景色は絶景であった。
残念な事には、薄くもやっていて、見通しは良くない。でも、ここに来て、長年の希望が叶えられた。
【長城の高さは8m~10m位あるそうです】
【下の写真の上半分が女坂、下が男坂となっている】
この辺りの長城は修復されていて、見栄えが良いが、先のTV紀行番組を観ていると、途中からは
昔のままの姿の長城が、かなり形を崩して残っている。
【長城の上は結構広く人なら10人並んで歩けるそうです】
色々な記録に依れば、一般的に我々が知っている、万里の長城は秦の始皇帝が造ったとされているが
実際はそれ以前から造られていて、秦が統一した時に、ばらばらに出来ていた壁を繋いで、長城にした
そうである。
現在我々が観られる長城は、明の時代に造築したが、驚くべきや、東は渤海湾の山海関から
西は甘粛省の嘉峪関(かよくかん)まで、山の険しい峰々に、急激な山を登り、川にも、そして、砂漠を
亘り、全長6,350kmにも及んでいると言う。この間に、多くの関が設けられて、常時、多くの兵士を
配置して監視していたのだろう。
しかしながら、実は、漢の時代に造られた長城は、更に、西に延びて、敦煌の先まで有ると言う。驚きだ。
但し、漢代の長城は、土を積み上げて造ったもので、今は、砂漠に埋もれてしまっている。
【長城のレンガには沢山の落書きがあった】
生きている間に、その西域の漢時代の土塁の長城を観てみたいものだ。そして、ついでに敦煌や
その先のシルクロードを歩いてみたい。行き着く先はトルコかな、いやベニスまでは歩いてみたい。
チャンスはなさそうですが・・・・・・
完
長城は物凄く高く、幅広く、そして頑丈で圧倒される壁です。
この壁が国内を6千㌔とも8千㌔mとも言われる長さ持って建造された事に物凄い驚きを感じる。
北方騎馬民族の侵略を防御する為とはいえ、それを造った当時の皇帝の強大な権力に対しても
大きな驚きを禁じ得ない。しかしながら、現代の我々から言わせてれば、こんな大土木事業をしなくとも
敵の侵入は防げたのではないのだろうか。(歴代の中国皇帝さま、大変失礼な発言でした!)
だが、現実は造ったので、今、世界遺産として残っているのです。
訪れた場所は北京から近い八達嶺。北京市街地からは立派な高速道路が出来たので、1時間位で
行けるのです。
会社勤め時代に、仕事の関係で何回か北京に訪れたことはあるが、観光する時間は無かったような
気がする。従って、万里の長城は今回、初めて観るのです。
20年前、万里の長城を、東の端から西の端まで紹介していた紀行番組があった。今は亡き
緒形拳さんが旅をしながら紹介するのだ。この番組を観て、どうしても万里の長城を観たいと以前から
強く思っていたところ、今回、格安のツアーがあったので参加した。
ツアーから帰ってきて、再度この番組のVTRを観てみた(当然だが、出演者の皆、若い)。やはり
凄い壁だし、この番組を撮った人達の苦労が伺える。
八達嶺の関に入ると右に行く門と左に行く門があるが、右側は比較的緩やかな長城で女坂と呼ばれ
観光客は多い。左側が男坂と言って、結構、上りがきついが人は女坂より少ない。折角なので、きつい
坂のある左側に登った。
限られた時間でどこまで行けるかだが、結構高いところまで行きついた。下から見える一番高い
「のろしだい」近辺では、相当、体力を消耗した。でも、そこから観る景色は絶景であった。
残念な事には、薄くもやっていて、見通しは良くない。でも、ここに来て、長年の希望が叶えられた。
【長城の高さは8m~10m位あるそうです】
【下の写真の上半分が女坂、下が男坂となっている】
この辺りの長城は修復されていて、見栄えが良いが、先のTV紀行番組を観ていると、途中からは
昔のままの姿の長城が、かなり形を崩して残っている。
【長城の上は結構広く人なら10人並んで歩けるそうです】
色々な記録に依れば、一般的に我々が知っている、万里の長城は秦の始皇帝が造ったとされているが
実際はそれ以前から造られていて、秦が統一した時に、ばらばらに出来ていた壁を繋いで、長城にした
そうである。
現在我々が観られる長城は、明の時代に造築したが、驚くべきや、東は渤海湾の山海関から
西は甘粛省の嘉峪関(かよくかん)まで、山の険しい峰々に、急激な山を登り、川にも、そして、砂漠を
亘り、全長6,350kmにも及んでいると言う。この間に、多くの関が設けられて、常時、多くの兵士を
配置して監視していたのだろう。
しかしながら、実は、漢の時代に造られた長城は、更に、西に延びて、敦煌の先まで有ると言う。驚きだ。
但し、漢代の長城は、土を積み上げて造ったもので、今は、砂漠に埋もれてしまっている。
【長城のレンガには沢山の落書きがあった】
生きている間に、その西域の漢時代の土塁の長城を観てみたいものだ。そして、ついでに敦煌や
その先のシルクロードを歩いてみたい。行き着く先はトルコかな、いやベニスまでは歩いてみたい。
チャンスはなさそうですが・・・・・・
完







この記事へのコメント
拝見し思いました。もう一度訪れてみたい。
小生が行ったのは25年前であったと記憶にあります。当時のアクセス道は
砂利道でして、足は少なかったタクシーを北京飯店から利用しましたが、ぼこぼこの道をクロスするたびに体が左右にゆられ難儀しました。
長城歩きは右側をはじめに、そして元に下って、左側に歩を進めました。
greatwallと言われることを実感しました。幸いに、当日は観光客もまばらで、馬とは比較になりませんが石の回廊を十分に踏みしめ、そしてはるか遠方まで続くwallをみて漢民族の力、偉大さを噛み締めた思いがあります。
一方、写真を、文言を拝見しこのようなところもあったのかと思い、発刊様の観察力の深さに感心いたしました。ありがとうございます。
25年前は、当然高速道路は無かったのですね。苦労されて行かれたと思います。今回北京に行って驚いたことが沢山ありました。街がきれいになって自転車が無くなって(多少は走っていましたが)そしてトイレがきれいになりました。オリンピックのおかげでしょうかね。サービスは、余り変わっては居なかった気がします。別の長城を観てみたいものですね。コメント有難うございました。
私は真冬にしか行ったことがないので
寒くて寒くて(氷点下)
上に登るほど寒くて、
早くバスに戻りたくなりました
でも、敦煌の方に残っている壁とか、
西の果ての嘉峪関とか、行ってみたいですね。
冬に登ったんだ。雪はどうだったのかな。もしうっすらでも積っていたら、長城は歩けませんよね。滑って。西域は行ってみたい場所の一つです。ウズベキスタンのタシケント、サマルカンド、ブハラなどはシルクロードの要衝ですが、ここは観ています。(仕事にかこつけてちゃっかりと観光しました。)
当時の技術でものすごい物を作ったと思います。
実際に歩くと結構傾斜がきつそうですね。
ちなみにトルコは13年前に行こうとしましたが、人数が少なく取りやめになってしまいました
今でもトルコの旅番組を見るたびに行きたいなぁーと思います。
東西の文化が融合する街。 いきたーい。
行きたいところはエジプトではなかったのかな。トルコとスペインは行きたいですね。トルコは皆で行きましょうか。
子供の頃に旅行会社のパンフレットで見て、行きたいなぁ
と今でも思っています