大阪まちハイキング【大阪史の舞台中心を歩く】第286号

  今回のまちハイキングは、大阪環状線「玉造駅」から「桜ノ宮」の間のルートで、歴史が一杯詰まった道を歩いた。その歴史は古代文化から近世に亘る物語である。

  「玉造駅」から、例のごとく、大阪独特の狭い商店街を通らされ、歩くこと10分で「三光神社」に着く。ここに、戦国武将「真田幸村」の像と大阪城にまつわる「真田の抜け穴」がある。
画像画像









 
  佐奈田山(真田山)は大阪冬の陣で活躍した真田幸村が陣を置いた場所で、ちょうどこの三光神社辺り。真田家は武田に仕え、後に、徳川家康にも従ったが、意見が合わず、豊臣方に付いたのである。大阪冬の陣で徳川側を悩ませ、翌年の夏の陣で、勇敢に戦い、48歳で戦死した。その優れた武将として多くの人に敬われ、数々の物語を通して、この世につながれいる。「真田の抜け穴」は大阪冬の陣の時に、大阪城まで、この抜け穴がつながっていたといわれているが、中に入ってみたかったが、がっちと進入禁止。
  ここには、自分と同じ様に写真を撮りに来ている人に出会ったが、彼らも、この歴史街道を歩いているのだろうか。この様な人たちと遇うと親しみを感じるのだ。
画像画像
  







 

  昼を過ぎていたので、かなり空腹状態、早めに腹ごしらえをしないと又食べ損ねるので、通りみちの「らーめん天下一品」で980円のラーメン、チャーハン、餃子(5ケ)が付いているものを注文した。美味しかった。

  腹いっぱいの少々重い足取りで、次は、同じ時代の事件があった、聖マリア大聖堂に向かった。
  この場所は細川忠興の大阪屋敷があった場所である。細川ガラシアは1563年に明智光秀の三女として誕生、16歳の時に、細川忠興に嫁入りした。その後、敬虔なキリシタンになる。
  豊臣側の石田三成が大名妻子を人質に取ろうとしたときに、彼女はこれを拒否して、1600年、この場所で自害したという。その跡に建てられたのが、聖マリア大聖堂である。
  教会の正面の右側に細川ガラシアの像、左側には、同じく、敬虔なキリシタンである、大阪高槻城主の高山右近の像が建てられています。
  大聖堂の中に入ると、なにやらミサが行われていて(ミサ中、見学はご遠慮下さいと正面入口に表示してあったが)厳かな雰囲気。周囲のステンドガラスが綺麗だった。
画像
画像

  すぐ側に、「越中井」の史跡がある。ここは、細川邸の台所があった場所だ。余り訪れる人も居ないが、子供が二人、井戸跡に登って遊んでいた。
画像

  次の場所は、歴史的にはもっと遡る。難波ノ宮跡の遺跡である。ここは天皇の都である以前から上町台地として、河川を有効に利用して、難波津(港)になり、特に、大陸との交流が盛んであった。現在のNHK大阪がある辺りには大型倉庫の跡が発見され、難波津の港の物資保管する場所として使用されたものらしい。
  下の写真は、この古代倉庫の復元と近代的なNHKの建物で、その対照が面白い。
画像

 難波宮は孝徳天皇の時、大化の改新(645年)と同時に、飛鳥から難波に遷都した。宮殿は本格的な中国風の都である。その後、約100年後の744年に聖武天皇の時にも、此処に都を置いた場所で、永らくその場所は不明だったが昭和29年の発掘で判明した。今は、国の史跡に指定され、大阪のまちに潤いと万葉のロマンの香りを醸しだしている広場となっている。
画像
画像

  ここでしばし、悠久の万葉の思いに浸っていると、突然、「失礼ですが」とお爺さんが声を掛けてきた。このお爺さんも、難波宮を見物に、甲子園から来たと言い、年齢は83歳とのこと。元気なおじいちゃんで、森ノ宮から歩いてきた。戦争に言った話や出身地の話し、入隊教育に、初代の天皇から、昭和天皇まで暗記させられた話が興味深かった。一部、歴代の天皇の名前を披露してくれた。
画像

 そのお爺さんと別れて、歴史街道は8世紀から、いきなり17世紀に、飛んでしまう。この時代のギャップが、何とも面白い。それは大阪城である。
大阪城は1583年に豊臣秀吉が築いたもので、住所も大阪市中央区で正に、大阪の中心に位置していて、大阪市のシンボルでもある。
 広大な大阪城公園は、四季折々の風情が楽しめる市民だけでなく、観光客、外人さんが多数訪れる。
 中でも天守閣が一番の目玉で、この天守閣に上るにはお金が掛かるが、その他は、無料で入れる。
画像

 この公園の中には「刻印石広場」といわれる、徳川幕府が諸大名に命じて集めた石垣の石に、藩毎の刻印をした様子が見れる場所、豊臣秀次や淀君が自刃した場所の碑など歴史をしのばせる場所が多数見ることが出来る。
画像

 ハイキングは、やがて、大阪城の内堀に架かる極楽橋を通り、内堀に沿って「京橋」(本当の橋)に着く。
 この京橋が京街道の基点で、京都に通じる橋だから京橋となり、OBPの近い繁華街の京橋の名前も、ここから来ているらしい。
 下の写真は寝屋川に架かる京橋の上からOBP方向を見たもので、その下の写真が橋らしく無い「京橋」である。
画像
画像

 この「京橋」の橋のたもとに「京橋川魚市場跡碑」を見ることが出来る。ここには、川魚を専門に扱う江戸幕府公認の市場が営まれていた地、フナ、コイ、アユ、ウナギなどがここに持ち込まれ、川魚市がたったという。今は、往時をうかがえるものは何も無く、ただ、跡地の碑があるだけだ。
画像

 次は、大川沿いに桜ノ宮公園を歩く。少し行くと「藤田邸跡公園」なるものがあり、有料かなと思ったら「ご自由にどうぞ」とあるので入った。大阪経済の基礎を築いた藤田傳三郎男爵とその子息の邸宅跡で、中に入ると小川が流れ、池があり、きれいに手が入った樹木が、素晴らしい庭園を造りだし、大阪の桜ノ宮公園の一部として公開されている。素晴らしい公園だった。
画像
画像

 さて、このハイキングも終わりに近い。大川に掛かる桜ノ宮橋をくぐり、源八橋まで行くと、今回のまち歩きルートの終点であるJR桜ノ宮駅である。この駅から二つ目が大阪駅となる。

 歩程約7km、時間にして2時間21分と、案内書にあるが、実際は午前11時から歩き始めて終点の桜ノ宮駅に到着したのは夕暮れ時であった。いかに道草を食っているかがわかる。
 完

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

BONSKY
2007年11月16日 07:33
相変わらずよく歩きますね。でも80のおじいちゃんもすごい。
今回は歴史いっぱいで、それもまた楽しいですね。