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help リーダーに追加 RSS 甲州街道歩き9回目(甲府ー韮崎)第385号

<<   作成日時 : 2009/11/23 08:47   >>

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  第9回目甲州街道歩きは、11月12日(木)にJR甲府駅から韮崎まで約15km歩きました。昨日11日は関東地方、大雨だったが、今日は曇りで、今日歩かないと、いつ歩けるか分からないので実行した。

  鈍行列車の旅は楽しい。今回は八王子から高尾に行き、そこで大月行きの鈍行列車に乗った。結構空いている。大月辺りまでは学生が多く、その後は、なんか暇な人がぽつりぽつりと乗っている。大月で次の列車、小渕沢行きを待つが、殆どの人は特急に乗って行っちゃった。なんか一人置いて行かれたと云う感じでした。自分は20分待って鈍行に乗る。空いている。甲府駅に到着。

  まずは、甲府駅前に鎮座している武田信玄公像にご挨拶。いい面構えだ。そして駅に隣接する甲府城跡がある舞鶴公園へ。
      武田信玄公にご挨拶               拡大するとこんな顔
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  甲府城跡は武田家滅亡後、羽柴秀勝と腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ浅野長政・幸長父子で完成をみた。関ケ原の戦い以降は徳川家の城となり、幕末まで存続しました。舞鶴城は江戸時代初め、将軍家一門が城主となる特別な城でした。明治になると廃城となる。明治37年には本丸周辺を舞鶴公園として開放、甲府城は建物が鶴の舞いに似ていたことから鶴舞城と呼ばれるようになった。お城の樹木は秋一色となり、きれいに紅葉されていました。
       鶴舞公園入り口               甲府城から市街地遠望
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  甲府市の国道52号線を西に歩く。整備され道も拡幅されて広い道路になっている。古い建物もなかったが、その中でも倉が建っているところもある。荒川橋、貢橋を渡ると、道は一変して細い道路となる。歩道も少ないので歩くのに車が邪魔だ。少し行くと、「上石田サイカチ」と言う木が2本、保存されていた。説明に依れば、昔はこの辺りまで、貢川で、サイカチは湿地帯に育つ木であるが、昔を残す意味で、この2本を保存して、近隣の人は、これを夫婦サイカチと呼ぶが、2本とも雌の木だそうである。
     夫婦サイカチの木               街道は銀杏がきれい
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  甲斐市に入った。道は竜王新町交差点で旧甲州街道の細い道になり、すぐに、称念寺がある。そこには「くり抜き石枠井戸」なるものがあり、水道が出来るまでは、付近の生活用水として利用され、又江戸時代には、甲州街道に面していることから、往来のお休み処として、赤坂台を通る人々の喉を潤す場所として利用されていたらしい。説明によれば、1606年頃出来たものと言われている。
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  そこからは赤坂と呼ばれる、きつい上り坂である。延々と上りが続くのである。坂が終りかける付近に、諏訪神社と赤坂稲荷があったので、ここで一休み。この諏訪神社には平成16年のお祭りに使った御柱が2本建っている。御柱のお祭りは、甲州街道の終点である、下諏訪神社が有名だが、ここでもやっているのかしら。
         きつい赤坂               諏訪神社の御柱(小型版)
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  地図どおりに歩いたのだが、道を間違えて歩いてしまった模様だ。目的の道に出るのに相当時間がロスってしまった。途中、ラーメン屋さんで、昼食とする。特製の味噌チャーシュー¥1050を頼むと、特大チャーシュウが4つも載ってきた。美味しかった。ボリュームもあり、満腹となる。
     韮崎は近い(この街道に面したラーメン屋)      ボリュームたっぷり
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 歩行は出っ張ったお腹を抱え再開する。ほどなく、泣き石を発見する。説明板によれば、武田勝頼が新府韮崎城に火を放ち、逃亡する時にこの地で振り返ると、燃え盛る火を見て、勝頼夫人が涙を流した物語があるそうだ。
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  田畑交差点で道は細い道に入るが、途中に、二十三夜塔なるものがあったが、後で調べてみると次のようにあった。
「今から600年ほど前、室町時代初期、戦乱の世の中が続き、戦禍が広がり、住民の被害は計り知れないものがあった。住民の恐怖は無事息災を祈願しての月待ち信仰が広がりようになった。十三夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜、二十六夜など特定の月齢の夜、人々が集まって月の出るのを待ちお供え物を供え、飲食を共にする風習が広がった。更に、月待ち行事は安産祈願、病気平癒祈願など人に係るものが多いそうである。主として二十三夜講が多く、この時は午前零時に月が昇ります。この信仰は江戸時代に盛んになり明治時代まで続いたそうです」なるほどね。
 
  この道筋は、甲州街道らしく古い家並みが続くと、道は先ほど分岐した自動車道に合流する。この辺りの木々も紅葉していて綺麗だ。やがて塩川橋を渡ると、そこから先は韮崎だ。
    二十三夜の石碑                その付近の現在の街道
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  ここは韮崎宿、古い建物は見当たらない。韮崎宿本陣跡の石碑があるが、その向かいに、昔風の建物があったくらいだ。説明によれば、韮崎宿は泊まる人も少なく、寂しい宿場と書いてあった。
        韮崎に入る                  韮崎宿の現在の様子
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 鰍沢横丁なるものがあった。昔は、荷物の集積、運搬が船に頼っていたが、盛んな頃に、ここには駄菓子屋や馬方茶屋が沢山あり、賑わった横丁でもあったと言われている。明治36年の中央本線が開通すると、その役目は終わった。
         本陣跡の石碑               鰍沢横丁の道標
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 今回は30km歩く予定だったが、先に、JRの駅が近場に無いこともあり、便利な韮崎で戻ることにした。次回は、この韮崎から、どこまで歩けるのかが心配だ。残りの距離は何ぼあるのかな? ところで、山梨名物のほうとう鍋を未だ食していないのです。食べなきゃ!下の写真のように美味いやつを!
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次回第10回の韮崎ー小淵沢に続く

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コメント(6件)

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武田信玄公は甲州人の心のふるさとです。人々は尊敬と親しみをこめて信玄さんと呼んでいます。4月の12日に信玄さんのお祭りがありますのでこの次には是非見に行ってください。桃の花がとてもきれいな季節ですよ。
韮崎はサッカーのの中田英寿の母校、韮崎高校があります。次に行ったときには訪ねてみては如何ですか。
full moon
2009/11/23 21:26
日本橋から随分歩きましたね!
甲府といえば武田信玄ですね

ラーメン美味しそう
ほうとうって山梨名物だったのですね
日本でほうとうの乾麺を買ってきたので
ハノイも寒くなってきたので作ろうと思います
cozy
2009/11/24 12:30
full moonさんへ
韮崎はサッカーの町とうたっていたが、中田英の出身地ですか、謎が一つ解けました。4月12日の信玄さんのお祭り楽しみにしています。
Akky-k
2009/11/26 09:46
cozyさん
今年の夏に第1回目、日本橋をスタートして、早、10回目を終わりましたが早いものです。180km近く歩いています。後、1回で終わらせたいと思います。
Akky-k
2009/11/26 09:49
コメント遅くなりました。

「韮崎」と言ったら、うちのパパも
「中田の出身地だ」と言っていました。

ほうとう好き。信玄餅も好きです
BONSKY
2009/12/07 08:59
BONSKYさんへ
今度、信玄餅でもかってきましょうか。ほうとうでもいいかな。楽しみにしていて下さい。
Akky-k
2009/12/07 19:51

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